中村さんに頼まれ国立公文書館で調べ物をしていたら、同じ分冊にこんな資料がありました。おおっ、これは・・・!
少し拡大したものを静岡側から相川へ順番に添付します。
そう・・・静岡から石部隧道、焼津を抜けて駿遠線大井川駅(旧藤相線相川駅)に至る、静岡鉄道が戦後に計画した通称「焼津延長線」の路線図です。敷設に向けた認可申請書の添付資料で、全16駅の場所・名前も記載されています。
・・・なんか「北新田」の位置、おかしくないかなぁ?焼津市北新田という地名は今もあるのですが、図面の位置からはだいぶズレているように見えます。(地元の方、もしくは詳しい方、おられましたらご教示ください)
【地 図】
おもしろいのは前述の東海道線旧線の2本の隧道(トンネル)。マップ上、緑で示している「石部隧道」と「磯浜隧道」です。現在は2本が接続・短絡され「石部トンネル」となっています。また、その山側には、さらに東海道新幹線の「日本坂トンネル」も見えています。
・A=旧「石部隧道&磯浜隧道」
・B=現「石部トンネル」
・C=「日本坂トンネル」
この区間は崩壊した姿が有名なのでご存知の方も多いと思いますが、明治期に初めて鉄道が敷設されて以来、戦前の弾丸列車計画、戦後の静岡鉄道焼津延長線計画、東海道新幹線の開業や東海道線の数度に渡る変遷など、さまざまな歴史の詰まった場所です。
年表で書くとこんな感じ。
1889(明治22)年、Aを建設、東海道線が利用開始
1941(昭和16)年、弾丸列車計画のためC着工
1944(昭和19)年、Cが完成。Aの改善工事のため、一時的に東海道線をCに移設
1948(昭和23)年、アイオン台風でAの坑門が崩壊
1950(昭和25)年、Aを活用した「焼津延長線」の敷設が認可される
1957(昭和32)年、東海道新幹線着工(焼津延長線は認可取り消し)
1962(昭和37)年、Bが完成、東海道線(在来線)をBに移設
1964(昭和39)年、東海道新幹線開業、Cの利用開始
Aの合わせて4つある坑門(出入り口)のうち内側の2つ(石部隧道の神戸側と磯浜隧道の東京側)は、結局1944年以降一度も使われることはありませんでした。上述の通り、石部隧道の神戸側の坑門は1948年の台風で崩壊し、無惨な姿を晒しています。
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