2019/08/08

【新潟県】2019年夏休み廃線ツアー④ 信越本線貨物支線 東新潟港駅


黒部で廃線跡を満喫した後は、長男とフォッサマグナミュージアムのある、糸魚川の美山公園のキャンプ場へ。到着が遅かったので、その日はテントを立ててカップ麺だけ食べて就寝。

夜は真っ暗でなにも見えませんでしたが・・・翌朝。

・・・・!! こんな気持ちのいい場所だったとは!

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タイヤにはこんな珍客も。

で、翌日から伊豆大島で地学部の合宿があるという長男は、このまま早朝のうちに糸魚川駅から去っていきました。彼は18きっぷでその日のうちに帰宅。さすが乗り鉄・・・。

父はふたたびゲレンデと単独ツーリングに戻ります。どこに向かうも気分次第。新潟から北海道へ行くフェリーがあることを知り、さらに北上して新潟港へ行ってみました。

しかし残念ながら高額な特等船室しか残っておらず断念(ToT)。

そもそも思い付きで北海道というのも贅沢すぎるし、1週間の休みで船旅というのもムリがあるよなぁ・・・という訳で、この日も周辺の廃線跡探索開始(笑)。

その昔、新潟港の回りには港町ならではの港湾線が張り巡らされていました。今回のターゲットはそのうちのひとつ、信越本線貨物支線。上沼垂信号場から焼島、東新潟港、大形に向かう路線の跡です。詳しくは下記地図・年表にて。

【地図・配線図】
赤線がその貨物支線、青線は今回は探索していませんが、信越本線の旧線です。
右上の四角をクリックすると別ウィンドウで開きます。
(iOS、Androidの場合はGoogleマップが開きます)

【年 表】
内  容
1897(明治30)1120北越鉄道が一ノ木戸(現・東三条)から沼垂まで開業
1904(明治37)53北越鉄道が沼垂から新潟(初代)まで延伸開業
1907(明治40)81北越鉄道を信越本線の一部として国有化
1924(大正13)121信越本線上沼垂信号場新設、新潟臨港(株)が隣接して上沼垂駅を設置、上沼垂~山之下(のちの東新潟港)間の山之下臨港線を開業
1928(昭和03)8-山ノ下から新潟臨港へ改称
1940(昭和15)10-新潟臨港が新潟臨港開発に商号変更

1941(昭和16)
7-新潟臨港から大形まで延伸

9

1
山ノ下臨港線国有化、信越本線(支線)に編入
上沼垂駅を上沼垂信号場に集約
新潟臨港を東新潟港に改称
大形を東新潟港の構内扱いに変更
上沼垂・東臨港間に焼島開業
1951(昭和26)1226上沼垂信号場が操車場に昇格
1957(昭和32)101上沼垂操車場が信号場に降格
1958(昭和33)429新潟が現在の場所に移転、上沼垂から新潟までの路線も変更
1967(昭和42)510上沼垂信号場が駅に昇格
1987(昭和62)41国鉄分割民営化に伴いJR貨物へ移管
2002(平成14)61焼島・東新潟港休止


今回は時間の関係もあり、東新潟港を中心に探索しました。Googleマップで南から俯瞰したのが次の写真です。下から伸びる廃線跡は、上部に見えるパイプラインを越え四方八方に散らばっていました。写真上部に見える大きなビルは山の下みなとタワー。廃線跡に建っています。

まずはその山の下みなとタワーの上から廃線跡方向(南側)を眺めてみました。川も何もないのに、パイプラインはそこだけかさ上げされて橋のようになっています。昔は港湾に向かう無数の線路が敷設されていた訳ですね。

扇状に広がっていた線路の名残は近隣の道路にも現れています。

特に柵で制限されている訳でもなく、地元の人も歩いていたので敷地内へ。





東新潟港駅の駅舎。以前は新潟臨港駅、その前は開業当時より山ノ下駅を名乗っていました。


駅舎の横にある、コレは何の施設だろう?

駅舎の反対側はこんな感じ。

廃止ではなく休止だから?まだ「東新潟港駅」の看板が残されています。

実はこの日、新潟県ではもう1か所、廃線跡を探索しました。その話はまた次回

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