(1)1944年~1954年頃の地図
右側中段の寒川駅から左に貨物線がカーブして、目久尻川と相模川の合流地点まで続いています(四之宮駅)。また、日東タイヤ(株)(現日東化工(株)さん)の工場への引込線らしきものも。相模川には「採礫場」の文字が見えます。
(2)1965年~1968年頃の地図
だいぶ路線は縮小され、日東タイヤ工場への引込線もなくなっています。
(3)1975年~1978年頃の地図
西寒川駅が少し北に移動しているように見えます。
西寒川駅が少し北に移動しているように見えます。
(4)1983年~1987年頃の地図
1984年3月31日、とうとう寒川支線が廃止されてしまいました。
1984年3月31日、とうとう寒川支線が廃止されてしまいました。
(5)1998年~2005年頃の地図
廃線跡が整備され、地図にも歩道が追記されました。
廃線跡が整備され、地図にも歩道が追記されました。
(1)~(5)の地図をアニメーションにしてみました。四之宮・西寒川間が廃止され、西寒川駅が少し北に移動したあと、寒川支線自体がなくなり、最後に歩道として整備される過程が分かります。
コースはこんな感じ。青は現在のJR相模線、赤が旧寒川支線の廃線跡です。
スタートは寒川駅。町田からは海老名で乗り換えです。相模線に乗ったのは初めてだと思いますが、南武線や横浜線のようなイメージを持っていたので、相模線が単線・三両編成のローカル線の雰囲気を持った路線だったのは意外でした。
しばらく西にたどっていくと、旧寒川支線は県道46号線を渡ったところで相模線と別れます。写真はその先の同47号線と合流するところから寒川駅方面を振り返ったところです。奥に架線の見える相模線と別れた寒川支線は、ゆっくりとこちらへカーブして向かってきています。低い塀の右側は道路。左側がおそらく廃線跡です。
県道47号線を渡った先はゲート広場という小さな公園。廃線跡はその先に歩道となって続いています。
さらに歩くと何か見えてきた・・・!
一之宮公園に到着です。
公園の端に古い線路を残した、なかなか珍しい趣向の廃線跡です。
それにしても・・・猫ちゃんの多いこと多いこと。
つい時間をロスしてしまいました(笑)。さらに公園を南下するとふたたび線路はなくなり、遊歩道に戻ります。
さすがに線路はこんなにくにゃくにゃではなかったと思いますが・・・。
さらに進むと再び線路が見えてきました。
ここは八角広場。旧西寒川駅跡に到着です。
名前の由来は分かりませんが、八角広場には八角形の噴水があります。写真は寒川方面を振り返ったところ。
ここから先、旧四之宮駅方面はもう線路はありません。
先ほどの地図(2)では、八角広場(下の写真の右側中段)よりさらに進んだこのあたりに駅があったように見えます。なんとなくそれらしい広場です。
昔の採礫場の上を走るのは圏央道(さがみ縦貫道)。河岸も整備され、もはやかつて砂利を採取していた場所にはとても見えませんね・・・。
素晴らしいです。相模海軍の文字もまた趣が。昭和史好きなので。
返信削除コメントありがとうございます!そう、この石碑の文字は趣がありますよね。
削除