2017/03/05

【静岡県】大井川鐡道井川線旧線

蒸気機関車やアプト式レール、湖上駅などで有名な大井川鉄道は、廃線跡の宝庫でもあります。

両親と弟一家も合わせ総勢10名の家族旅行で訪れたのは2017年3月。当時はまだ廃線に興味は持っておらず、なんとなくありがちな風景を撮影していました。



・・・あれ?
なんであちらにも線路が?
どこへ行く路線だろう?

ん?鉄橋があんな所に?

お?トンネルもある?

実はこれが今日に続く私の廃線跡探索という新しい趣味の始まりでした・・・。

大井川鐡道井川線の歴史は1935(昭和10)年、大井川ダムの建設に必要な資材を運ぶために千頭から線路が引かれ開通した大井川専用軌道にさかのぼります。翌1936(昭和11)年には市代吊橋が完成し、同路線はこれを渡った奥泉堰提(現在のアプトいちしろ駅付近)まで延長されました。

これは、これまで上流で伐採した木材を運搬していた舟が大井川ダムの完成で通れなくなるために考えられたもので、木材はここでいったん貨車に積み替えられて陸送で運ばれ、下流の﨑平で再び舟に戻されるという運用が取られたとか。

地図で確認します。

左端中段に大井川ダムがあります。その左側を回りこむオレンジのラインが当時の廃線跡。千頭から北上してきた井川線は、橋の手前で現在の線路と別れ、川べりに沿って弧を描きます。

さきほどのこの写真はちょうど現在の線路と別れるところ。画面左が千頭方面、右はアプトいちしろ方面の鉄橋になります。

その先を車窓から撮影。写真右上に路盤の残っているのが見えます。

廃線跡は短いトンネルと現在の奥泉発電所の中を通り抜け、最後にこの市代吊橋を渡って写真手前の終点に到着です。この写真は現在のあぷといちしろ駅から撮ったもので、向こう側が現在の奥泉発電所です。立ち入り禁止ですが、発電所のなかにも線路が残っているようです。

戦後、同路線は中部電力専用鉄道として移管されるとともに、さらに上流の井川ダム建設のため1954(昭和29)年、堂平駅まで延長されました。その際、大井川ダムの左側を回りこむ路面は廃止され、橋を渡って直進するルートに付け替えられました。

1957(昭和32)年の井川ダム完成以降、資材輸送という路線の役割は変化し、1959(昭和34)年には経営が大井川鉄道に移管され、旅客運搬がその中心となっていきます。

そして1990(平成2)年、今度は大井川ダムの上流に長島ダムが完成。既存の路面は大半が水没することから現在の路線に付け替えられました。その時に廃止されたのが、さきほどの地図の赤いラインになります。

上空写真を見比べると、長島ダム完成に伴う人工湖の出現が良く分かりますね。


アプトいちしろ駅では専用の機関車が連結されます。

機関車の底部にある専用の歯車が、レールとレールの間にあるこのギザギザにがっちり噛みこんで、ぐいぐい列車を引き上げる・・・これがアプト式。

旧線はアプトいちしろですぐトンネルに入ります。そのトンネルを出たところが下の写真のアプトいちしろキャンプ場。上の段が廃線跡の路面です。この辺の数件のトンネルは遊歩道として整備されています。

その後、旧線は長島ダムの正面を通ります。写真は現路線上の車窓から撮影したもの。よく見ると左下にトンネルの入り口があります。画面右のアプトいちしろ方面から来た旧線は、ダムの手前の吊橋がかかっているあたりを渡り、トンネルに入ります。

ここの他にも大井川鐡道にはさまざまな廃線跡があるようですし、この時はまだ廃線跡探索のつもりのないまま撮った写真ばかりなので、また機会を見つけて再訪しようと思います。

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