都電錦町線は、都電の前身の東京市電の、そのまた前身の東京電気鉄道(株)が1904(明治37)年に開業した通称・外濠線の一部です。
上の路線図は、開業当時の外濠線を示したもので、電停は、北から「御茶ノ水」「甲賀町」「小川町」「錦町三丁目」「錦町河岸」「神田橋」「鎌倉河岸」「龍閑橋」「常盤橋」。
翌1905(明治38)年4月5日、御茶ノ水橋を越え外濠線が延長された際に、橋の北詰に「師範学校前」、また1914(大正3)年4月6日には、地図右下の赤線と緑線のつながるあたりに新たに「常盤橋」が設置され(のち「新常盤橋」に改称)、従来の「常盤橋」は「日本銀行前」に改称されます。いつしかこの赤線部分が「錦町線」と呼称されるようになりました。
この錦町線の最大にして唯一の遺構が、地図の一番上、現在は2代目となったお茶の水橋の上に残るレールです。
下の写真は2019年5月5日にお茶の水橋北詰の横断歩道を東側から撮影したもので、正面が市ヶ谷方面、後ろは秋葉原、左がお茶の水橋を越えて駿河台下につながるT字路です。よく見ると、橋の継ぎ目の左(南側)にあるアスファルトがデコボコ・・・。
近寄ってみると・・・斜めに横切る2本のレールが!
手前側のレールのアップ。2019年時点で最低でも75年は経過しているレールな訳で、以前ご紹介した船路橋レール跡よりも更に枯れた雰囲気があります。
向こう側のレールも細くですが露呈しています。
都会のど真ん中の廃線跡。いつ撤去されてしまうか分かりませんが、ぜひとも残してほしい遺構です。交差点のど真ん中ですので、見学の際はくれぐれもクルマや歩行者(の冷たい視線(笑))にはご注意ください。
2019年7月8日追記
ショッキングな工事の告知が掲示されていることに気付きました・・・。
2019年11月1日追記
とうとう工事が始まり、現場は掘り起こされてしまいました。
掘り起こされたレールも路上に置かれていました(現在は撤去されています)。
都電のレールは通常のエの字ではなく、エの字の上部に溝が彫られているのが特徴です。車輪のフランジ(内側の出っ張り)を逃がす部分です。旧四谷見附橋が移築された、多摩の長池公園には、当時の都電レールの実物が保存・展示されており参考になります(四谷見附橋上に敷設されていたものではないようです)。切断面は下半分が樹脂で固められており見えませんが、溝の様子が確認できます。
【長池公園に保存・展示されている都電レール】